ベートーヴェン・ヴァイオリンソナタ第9番クロイツェルソナタ

ベートーヴェン:ピアノとヴァイオリンの為のソナタ第9番「クロイツェル」 作品47

作曲年 1803(33歳)

~同じ年に作曲された作品~ 
・1803~1804年 交響曲第3番「英雄」 作品55
・1803年 ピアノソナタ第21番「ワルトシュタイン」 作品53




ピアノとヴァイオリンの為のソナタ第9番『クロイツェル』

スプリングソナタと並んで、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタの代表作とも言えるクロイツェルソナタ。

このソナタの名前の由来は、大ヴァイオリニストであったクロイツェルに献呈された事に由縁します。

ルドルフ・クロイツェル

クロイツェル・練習曲

ヴァイオリンを志す方ならば、誰もが通る道とも言えるクロイツェルの練習曲。

クロイツェルについて、長年芸大で教鞭を執られた山岡耕筰先生編集によるエチュードの解説を見ると・・・

ルドルフ・クロイツェル(Rodolphe Kreutzer・仏)は、1766年11月16日にドイツ人の家系に生まれた。

宮廷楽団のヴァイオリニストであった父親からヴァイオリンの手ほどきを受け、早くから天才的な音楽才能を見せ始めた。

ベートーヴェンから《クロイツェル・ソナタ》を献呈された事からも窺える様に、非常に優れたヴァイオリニストで有り、また作曲家、指揮者、教育者としても活躍した。

特に、クロイツエルの2番のエチュードは、ヴァイオリンを習う方なら比較的初歩の段階でボーイングの練習とし必須、必ず取り組むエチュードの代表となっています。(因みに、桐朋で副科ヴァイオリンを履修し、山口裕之先生に教えて頂いた私でしたが、ここまで進めませんでした。)

クロイツェル・練習曲第2番

2番のエチュードを聞けば、『あぁ、これがクロイツェルの練習曲ね!』と思う方も多い事でしょう。

ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ卒業論文

前述の通り、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタは、10番を除いて全て初期に書かれた作品になります。

スプリングソナタと並ぶ最高傑作とも言えるクロイツェルソナタは、その充実した濃さから、後期の作品と思ってしまいそうですが、実は交響曲第3番『英雄』、ピアノソナタ第21番『ワルトシュタイン』、ヴァイオリン協奏曲よりも前に書かれた作品なのです。

このクロイツェルソナタを書き上げ、10番のソナタを書くまでヴァイオリンソナタを書かなかったベートーヴェン。

因みに、ベートーヴェンは第1番のソナタからクロイツェルまで、6年をかけて書き上げ、その後9年間の沈黙を経て、再度ヴァイオリンソナタを執筆、10番のソナタが生まれます。

1番から立て続けにヴァイオリンソナタに取り組んだベートーヴェンのヴァイオリンソナタ群に於いて、クロイツェルソナタは卒業論文の様と形容できるかもしれません。(そして、10番のソナタは修士論文、ミサソレムニスのヴァイオリンソロは、博士論文・・・私の印象ですが。)

クロイツェルソナタの『音』の問題~GかGisか~

ベートーヴェン・ヴァイオリンソナタ第9番クロイツェルソナタ第1楽章165小節目、GかGisか

クロイツエルソナタを演奏する上で、1か所、音に関して演奏者が選択を迫られる所が有ります。

第1楽章提示部の終わりに差し掛かった部分、165小節目の3拍目(厳密に言うと、アラブレーベなので2拍目)の音が、楽譜・エディションにより、Gで有ったりGisであったりするのです。

この様な音の相違は決して珍しい事では無く、例えばベートーヴェンのチェロソナタにも有り、チェロソナタ3番の第1楽章で、チェロの音がCかCisかという議論が有りました。(ただし、チェロソナタの場合は、現在ではCis、再現部ではFisでほぼ解決している感があります。)

クロイツェルソナタの場合、考えさせられるのが、提示部でGisを弾くのであれば(H-A-Gis-Aであるならば)、再現部もCis(E-D-Cis-D)になっているのが自然かと思うのですが、再現部ではC(E-D-C-D)になっています。

165小節目をGisで弾いた場合、この小節では未だ回答が出せていない不安定な心情を表し、その4小節後でGになった時に決然と提示部の終わりを迎える予感を強く印象付ける様に思います。(あくまで私の印象ですが。)

それに対し、165小節目をGで弾いた場合は、この部分から既に迷いの無い決意の様な物を力強く実感出来、これもとてもベートーヴェンらしく感じるのです。

ベートーヴェンのヒューマンエラー?

何故この様な問題が起きているか、なのですが、先ず大前提とし、ベートーヴェン先生ご自身はGisと書いていらっしゃいます。

ところが、教科書的にはここでGisというのは、おかしいのです。

問題の個所の辺りは、e-mollになります。

e-mollにGisの音は無い=非和声音が故に『ベートーヴェン先生、お間違いなさり遊ばされたのでは・・・これはヒューマンエラーなのでは・・・』という事で、20世紀の巨匠と呼ばれる大ヴァイオリニストたちはベートーヴェンを慮り、ここはGの間違いだろう、とGが主流となっていました。(前述の通り、再現部では非和声音が含まれていない事も、ヒューマンエラー説に説得力を与えていた事になります。蛇足かもしれませんが、再現部の音がCかCisかで問題・議論となる事は有りません。Gisに抵抗を感じるが故の議論になります。)

ですが、時代は原典至上主義に移り変わり、『楽聖・ベートーヴェンともあろう方が、その様なケアレスミスをするだろうか?いや、ベートーヴェン先生は確信を持ってGisと書いたに違いない!きっと何かの意味が有るに違いない!』といった感じの流れで、Gisで弾く方が増えてきました。

因みに、ベートーヴェンの校訂では定評の有るヘンレ版ではGisになっていますが、注釈とし『169小節目、更に再現部の486、490小節も見るべし!』と書かれています。

即ち、ヘンレも自信満々でココはGisである!と考えている訳では無く、苦渋の決断でGisを採用している事が窺えます。

蛇足ですが、客観的に見た場合、ここでgisを採用するには『本人がGisと書いているから』という理由以外に理論的に説明するのは難しく、どちらかというと、ヒューマンエラー説の方が説得力が有る様に思うのは私だけでは無いと思います。

もっとも『本人がGisと書いているのだからGisに決まっているだろう!』と言われれば、返す言葉は有りませんが。。。

前述の通り、ヘンレがGisを採用している事も有り、最近では多くのヴァイオリニストがGisで弾いている様に思いますが、逆に20世紀の巨匠と呼ばれるフランチェスカッティ、グリュミュオ、オイストラフ等はGで弾いています。

私自身の経験を申し添えると、この曲を初めてご一緒して頂いた宮川正雪氏(東京フィル首席奏者)とはGisで弾きました。

その後、山口裕之先生とはGで弾きました。

この音の相違について、ご近所にお住まいで、家族ぐるみで大変お世話になっている山岡耕筰先生、山岡みどり先生ご夫妻に伺ってみた所、両先生とも『私はG』と仰っていました。

これからクロイツェルソナタに取り組む方は、是非!両方を試した上で、ベートーヴェンの意志を汲むべく選択して欲しいな、と思います。

クロイツェルソナタを深く知る為に

クロイツェルソナタのリハーサルで、山口先生が『この部分に似ている!』等、例として挙げたベートーヴェンの他の作品です。

・弦楽四重奏第3番
・弦楽四重奏「ラズモフスキー」
・弦楽四重奏12番第2楽章、3楽章
・交響曲第9番第3楽章
・ミサソレムニス

クロイツェルソナタを深く理解するために、もっと好きになる為に、是非!これらの曲を聞いてみて下さい。

きっと、クロイツェルソナタに繋がる部分が発見できる筈です。




コラム・ベートーヴェンのfとff

ある日のリハーサル。

山口先生が仰いました。

『ベートーヴェンのfは、窓を開けて話をしている感じ。ffは右翼のトラックの様に!』

この教えは大変印象的、衝撃を受けました。

『ベートーヴェンのffは大きいだけではダメ!その音に主義主張が無ければいけないのだ!!』と私は学びました。

以来、右翼のトラックが大音量で『愛国行進曲、暁に祈る、海ゆかば、月月火水木金金』といった軍歌を流しながら近づいてくるのに気が付くと、『ベートーヴェンのffだ!』と思う様になりました。

私の為に、一生懸命様々な例えを用いて解り易く教えて下さる先生に只々感謝です。